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2005年08月18日
台北日誌202:ラッキョウを剥くようなもの
■戦後60年で議論がさかん
玉音放送から60年が過ぎた。台湾で日本のすばらしさや大切さを感じてから、戦後の問題に関して敏感になったと思う。しかし、それを差し引いても世論や論調が改めて戦争渦にあった日本を見直す動きが出ていると感じる。
■意外に逆かも
先日なにげなく戦争を議論する番組を見ていた。もちろん、肯定派と否定派で討論するのだが、面白い印象を受けた。肯定派側は「戦争自体は非であることは明確。しかし、当時は世界的な混乱の渦中に日本があった。生きるか死ぬかの究極の状況下にて、日本を守るために戦った人たちを現代の論理で否定することは出来ない」と、一歩以上もの歩み寄りを見せた温和な論調であった。一方、否定派は「戦時中の指導者の選択は明らかに誤りである。日本の行ったことは取り返しがつかない。近隣諸国への戦後保証をしっかりしなければいけない。」と、どちらかといえば好戦的な構えで、冷徹なまでに理論的で、相手を完膚なきまでにたたきのめそうという姿勢だった。もしかしたらこうした人が実際に戦争をするのではないかと思うほどだった。
■ラッキョウを剥くようなもの
ある人が言った。「あなたの考え方は現代的、理論的です。そうした考え方で戦争を論することは、まるでラッキョウを剥くようなもので、最後には何も残らないんですよ。」言いえて妙である。
戦争は非である。非であるがゆえに、論破しやすい。しかし時代、立場、状況によって、是も非もある。凝り固まった現在の我々の頭では想像もつかない。
日本を守ろうとした人たち、戦後の驚異的な復興に努力した人たち、かけがえのない魂の上に現代の日本が存在している。その心を安易に売り渡してはいけないと思う。
投稿者 taipeih : 2005年08月18日 12:39