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2005年10月25日

台北日誌210:権力と権利の融合

■巷をにぎわせっぱなし
六本木丘界隈の住人たちが昨年より巷をにぎわせまくっている。投資家が居る以上、株主価値を向上させることには何の異論もないが、現場で業績を挙げるように頑張っている人たちのことを考えると、お金を動かすことで儲けようとする行いにはやはり疑問はつきまとう。汗流して稼いだ金こそが価値があるのであって、このままでは勤労が美徳にならない不思議な論理が芽生えてしまう。

■放送特権の低下?通信の制限化?
とくにTV局やラジオ局との業務提携に関しては「放送と通信の融合」という言葉が使われることが多い。あたりまえの方向性のようだが、果たして正しいのだろうか?放送は権力である。免許があって初めて情報を送信する側に立てる。通信は権利であり、誰もが平等に使うことの出来る手段である。これが融合することは非常に危ない。放送がインターネットの無法地帯で、その根底が崩される。もしくはインターネットが権力を振りかざすことになるかもしれない。

技術の革新には明るい未来が待っているように見えるが、その先には混沌とした闇が広がっているのかもしれない。

投稿者 taipeih : 12:03 | コメント (0)

2005年10月20日

台北日誌209:ながい付き合い

■かれこれ25年位
身の回りにある一番付き合いの長い物はなんだろう?そう聞かれると、あたりをキョロキョロ見回すに違いない。とあるきっかけで、枕元にある目覚まし時計だと気が付いた。最近見かけることは少なくなったが、時刻を示す文字盤がパラパラ漫画のようにパタパタ切り替わって時刻を示す時計だ。VHSビデオテープを2個ぐらい重ねた大きさで、目だったデザインではないが、時間とともに色あせた水色のボディがなんともいい味を出している。目覚まし機能が壊れているのは時計失格なのかもしれないが、目覚めがいいほうなので気にならない。なんといっても寝ぼけ眼でもはっきりと時間の分かるところが手放せない。時間は狂わないし。

■電池で動いておりますので
2年に1度ほどの周期で、寝覚めが気持ち悪い朝が来る。体内時計と目覚まし時計に6時間以上の時差を感じる時だ。この場合は決まって時計の電池が切れている。
しょうがないとは思いながら、ずっと動き続けた時計が、止まっているという状態はなんとも不安になる。そして予備を物色するのだが、不思議なことに乾電池は欲しいときにほどぴったりと合ったサイズの予備が切れている。ましてや単2電池など、いまや懐中電灯ぐらいしか使っていない。
そして「新しい電池入れなきゃ」というモヤモヤ感が一日中ずっと付きまとうことになる。その割には、帰宅後に単2電池を買い忘れたことに気づき、落ち込む。

■高さ同じじゃん
ふと気が付いた。単2と単3は高さが一緒、すなわち同じ身長のデブと痩せの関係である。それなら予備は十分にある。早速入れてみる。もちろん大きさが違うので、+/-それぞれの端子に接触するように、ソーッと手で押さえながら入れて、ゆるりと文字盤を覗き込む。。。
思い出したように25年の相棒は動き出した、当たり前のことでもすっきりした幸福感に包まれる。
乾電池をもう少し押し込んでみる。。。端子バネに支えられたか、固定できた。そーっと電池蓋を閉めて、枕もとの定位置にそーっと戻す。相棒はどんな電池を入れられたかも知らずに、実は5分早く時刻を設定されたことも知らずに動いている。
寝坊の許されない朝のケタタマシイ音は携帯に任せればいい。床においておけばバイブレータ機能と相乗効果を得られる。筆者にとっての目覚まし時計の条件は、5分早い時間を正確に刻める時計なのだ。

投稿者 taipeih : 19:09 | コメント (0)

2005年10月17日

台北日誌208:参拝は常識的なこと

■常識的なこと
公約にのっとり首相が靖国神社を参拝した。国のために尽くした人を国家の代表が敬意を払うことは、何も日本が特殊な国だからではない。戦争がいかに非であれ、国家のために命を落とした人たちが、各国では奉られることが、国際的には常識であり、国家元首がその御霊を参拝することもあたりまえの光景であることを、まずは認識しておかないといけない。

■逆手に考える
文句をつける近隣諸国がどの国かは言うまでもないが、「なぜ毎度敏感になっているのか?」を知らないと、いつまでも理解できない。ここは逆に相手の立場に立って、そのわけを考えてみると分かりやすい。

■唯一の外交カード
歴史上、属国とみていた日本が敗戦国として名誉を失墜していたにもかかわらず、現在までの繁栄を見ると、そりゃあ面白くない。いつまでも頭を押さえつけなければいけない。靖国は唯一と言っていいほどの外交カードであり、きり続けるしかない。ましてや、日本のマスコミも毎度のことながら騒ぐので、こんなに都合の良い話はない。

■嘘はつき続けるしかない
戦後保証は当時の国家間において決められた取り決め通り、完済済。保証の主なものはお金であり、当時の財産であった。国際的な常識以上の保証を日本はしている。もし、そうした保証が国家・国民のために使われてこなかったとすれば、国は嘘をついていることになるので、立場が悪くなる。しかしながらあからさまに保証を言い出すことは出来ないので、「国民の感情を損なった」という表現が使われる。

投稿者 taipeih : 18:03 | コメント (0)